1947-10-24 第1回国会 衆議院 農林委員会 第40号
ここに農民の苦しみがあるのであつて、私どもが高米價を主張するのは、何も百姓を金持にしようといつて、千七百圓米價に不服を言うのではない。今日の農民が生活をするとこができない。次の生産ができかねる。
ここに農民の苦しみがあるのであつて、私どもが高米價を主張するのは、何も百姓を金持にしようといつて、千七百圓米價に不服を言うのではない。今日の農民が生活をするとこができない。次の生産ができかねる。
昨年の五百五十圓米價につきましては不平もあり、不滿もありましたけれども、私たちは地方へ行きまして、なだめたりすかしたり、頭を下げて頼んだりして、供出のことには胸の割れるような思いをして、農民たちに供出をお願いしました。一面には強權發動、その強權發動はやらせたくないので、私たちは米價の問題は別にして、國家を救うために米は安くても出してくれと哀訴嘆願をして、米の供出に御協力申し上げたのであります。
生産費調査においても、農林省で調査された生産費なり、あるいはその他の方面で調査されました生産費も檢討いたしますし、パリティ計算についても、私どもの知り得る範圍において檢討をいたしておりますが、いずれもわれわれは満足するものではございませんけれども、大體本年米價は二千六百圓程度ならば農民も辛抱ができるのではないか、また去年の五百五十圓米價と同じようなことにならぬように、二千六百圓程度のところに落ちつくようにしてもらいたい
ところが昨年の米價決定は、和田農林大臣が突如として、われわれが研究する半ばに、六百圓米價というものを新聞に發表をいたしました。安本長官も大藏大臣も、また議會における食糧對策委員會の價格部も、何も知らない間に、突如として六百圓米價を新聞に出した。そこで安本なり大藏大臣なりもあまり氣をよくしなかつたし、われわれ委員としても非常に不滿でありました。